川崎市中原区の課題や問題点を区民自ら考え調査・検討するほか、市民活動団体の支援・広報等実践活動を行っています。

by 中原区まちづくり推進委員会
画像一覧
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
検索
最新の記事
記事ランキング
外部リンク
画像一覧

カテゴリ: もっと知ろう/中原区の統計( 1 )

もっと知ろう中原区の統計

d0241210_11453491.jpg【平成24年度版川崎市発行「川崎市統計データブック」】


  国勢調査で平成17年と22年の比較で、中原区はすべての区の中で人口増加率が最も高く、11.1%、増加数23,232人になりました。武蔵小杉駅周辺地区を中心に高層マンションが林立し、再開発が進んでいます。 このような情報でも分かるようで、なかなかすぐに知ることができません。

 中原区役所のホームページには中原区の統計情報があります。

 昔は? と思っても情報がなかなか探せません。でも、市のホームページを深く探れば、少しずつ分かってきます。

 1982(昭和47)年の中原区の人口は現在の59%・140,567人、世帯数は46%・54,549世帯だっと分かります。この30年大きく変わってきたと言えるでしょう。詳しくは毎年10月1日の「区の人口と世帯数」の中の中原区の表を見てください。「川崎市町丁別世帯数・人口」で近年の中原の町別人口も分かります。

d0241210_12401044.jpg■ 時代の流れ共に、歴史は流れ ― 自治から任命へ ―
  そもそも1889(明治22)年、小杉・上丸子・宮内・上小田中・下小田中・新庄の6つの村がひとつになって、中原村が生まれました。
  「明治5年、村の代表を戸長とよび、政府の仕事をするようになりまたが、ほとんどの村では、戸長を自分たちで選び、村の有志が相談して決めていました」ところが「戸長が、こともあろうに、政府に反対する自由民権の先頭に立」つようになり、「政府にとってまことにこまったこと」になったそうです。
 それで、「1884(明治17)年には、戸長を県が決めることにしました。つまり、戸長は村の代表ではなく政府の役人にしたのです」。そんな訳での統合でした。

 1925(大正14)年 中原村と住吉村が合併し、中原町制施行。

 明治初頭、中原「町の大部分は、米作りを主とする農村で、ここでの生活は川崎市とちがい、ますます苦しくなっていました」。「中原町の税金では、町のさまざまな事業をまかなうことができなかったのです」。「いっぽう、川崎市は、工場がふえて敷地や住宅地をまわりの町や村に広げなければいけなくなっていました」。そうした背景で、1933(昭和8)年中原町が川崎市と合併。

(年表は「中原区の歴史年表」を参照ください)

 
 中原区のこんな歴史話やデータを集めていきたいと思います。

 中原区のこんな話あんな話を、また、統計データの出典を明記の上ご提供ください。

 (右写真はH24年版川崎市統計データブック7から引用です。詳しくはここをクリックしてPDFファイルを開き、74頁をご覧ください。                  
●参考資料:川崎歴史研究会編集「やさしい川崎の歴史」
尚、「川崎市統計データブック」は平成18年から平成24年度版まで全頁が市のホームページでダウンロードできます。
[PR]
by nakahara-machi | 2012-07-19 00:28 |  もっと知ろう/中原区の統計